ぬいぐるみは裏切らないっ

わけがわからない

自分の話を聴いてくれ

 

なんか気持ちが晴れなくてずっともやもやしてて気付いたら一時間経ってる!みたいなことがザラにあってやだな〜って気持ちになってる。だけどここに書いたらなんかスッキリするかな〜と思ったので書こうと思う。

 

他の人が忘れてるような、自分がされて嫌だったことを鮮明に思い出す。そしてそれを忘れようとして惰性でTwitterとかゲームをする。時間を浪費する。悪循環。

その自分がされて嫌だった記憶は、本当に何気ないことが引き金になって思い出されることが多い。例えば勉強をしていて調べてみてもわからない時があった時、小学生の低学年か中学年くらいの頃の当時のおともだち(笑)に「アンタってほんとにバカ」とか「字が汚い」と言われたことを鮮明に思い出す。当時の自分は言われたことをそのまま受け取っていたので、バカと言われれば自分は「あ~自分ってバカなんだ~」って思ったし(実際、勉強が得意というわけではなかった)、「字が汚い」と言われれば「そうなんだ~」と思った(実際は先生に「もっと丁寧に書きましょう」と言われたことは一度もない)。

県か市の習字コンクールに出して金賞取った時にも習字を習ってたおともだち(笑)におともだち(笑)は銀賞で、「なんであんたなんかが金賞なの!!」と言われた事もあったな、自分だって夏休み冬休みに友達の遊びの誘いを断ってたくさん練習して獲った金賞なのに、全然努力してなくて獲ったみたいに言われて悲しかった。単純にお前より自分の方が努力して上手くなったから金賞獲っただけなのになんで?

あと歴史のテストで90点台取った時(社会科系科目は得意)クラスの頭良い人に「お前には負けたくなかったわ〜」みたいなこと言われて、その時はなんとも思わなかったけどだんだん引っかかるようになった。なにこれ?

 

自分、全然見下されるようなことしてないと思ってるのに割と見下されてて訳わかんないな。背が低かったから?上手く話せないから?バカとか言っても反論しなかったから?それだけで見下しちゃうんだ人間って。理解出来ないな。

 

今ならバカと言われたらチャラく多少オブラートに包んで反論するというか、「はぁ〜〜〜?お前に言われたくありませんが???」ぐらいは言えると思うけど、当時はなんで…なんで出来なかったんだろう……。やっぱり反論しても「でもお前自分よりテストの点低かったじゃん」で丸め込まれるから言っても無駄だと諦めてたからかな…別に今もそんなに変わらないと思うけど…前よりかは絵のコンクールで賞撮ったが???お前より本読んでる自信あるけど???お前はどう???みたいな「自己」がだんだん形成されてきたからかな、もうまとまらなくなってきた。泣きたくなってきた。

 

「お前はバカだ」とか言った側は全然気にしてなくて、記憶にすらなくて今も生きてるんだよな〜良いな〜…でも自分も何気なく言った言葉で誰かを傷つけてるのかもしれないな…ああ……!

本当に優しくて誰も傷つけないで生きてる人なんていないだろうな……居たら誰か教えてください(?)

 

こんなことがあったから子供がすごく怖くて苦手。

子供はかわいいから好き!保育士になりたいって言ってた高校の友達がいて、あ〜すごいな〜こういう人で社会って動いてるのかな〜なんて思った。

 

 

この出来事だけで決め付けるのは良くないと思うけど、自分の人間不信なところとか自己不信、人の怖さ、コミュニケーションが消極的なところの原因はここにあるのではないかと思う。

人格形成に大事な時期にこういう体験があるのってすごく辛いな。なんか今までもこういう過去のことを思い出して辛くなる時はあったけど、今みたいにはっきり自覚したら自分が思ってるより、相当根深く心を侵食しているのかもしれないと思った。自分のことが全く分からなくて恐ろしくて堪らない。

 

 

スッキリするかな〜思って書き始めたけど、よくわからない。ところどころ感情が暴発してしまったし。

「聴いてくれ」と言った話が自分語りで暗くて申し訳なくなってきた。

次は明るい記事を書きたいです。(予定は未定)

 

ここまで読んでくれてありがとう。